Barilla

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パスタの未来を考える
2017年 バリラ・パスタ・ワールドチャンピオンシップ

第1回 レポート

『パスタの未来を考える』をテーマに、世界の若手シェフたちが腕を競う『2017年 バリラ・パスタ・ワールドチャンピオンシップ』が開催されました。9月27日から3日間、ミラノそしてパルマを舞台にした大会には、日本から大阪のレストラン『クイントカント』の弓削啓太シェフが参加し、見事に決勝進出を果たしました。日本は、昨年の宮本義隆シェフに続く2年連続の決勝進出という快挙!弓削シェフの奮闘振りを紹介しながらパスタの魅力をたっぷり見つめます。

“日本代表が映し出したパスタの未来”

日本代表が映し出したパスタの未来1日本代表が映し出したパスタの未来2

年々その重要性を増すこの国際大会も6年目。今年は、腕を競うのが食の未来を担う35歳以下の若手料理人たちなら、審査を務める5人は、全員がイタリアで活躍中の星付きシェフ。 出場する19人のシェフに与えられた2つの課題も相当なもの。60分でシグニチャー・ディッシュとなる『未来を映したオリジナル・パスタ』を仕上げること。 そして逆に『トマトソースのスパゲッティ』というシンプル極まりないパスタを独自の解釈で表現すること。制限時間はわずか30分。この難問をクリアして決勝に進む3人に残ることは、至難の業でした。

弓削シェフのシグニチャー・ディッシュは『スカンピのバリエーションとレンズ豆のフジッリ』。フランス修業時代に目覚めたという豆の魅力を引き出した優しいレンズ豆のソース。 スカンピ(アカザエビ)は身をふんわりソテーし、殻でとった出汁は煮詰めてお煎餅状に。ポロネギをオーブンでパリっとシートに変身させると、ネジ型のショートパスタ『フジッリ』は、バランスを考えてポキっと2つに。 プルプルつるんと茹で上げて出汁の利いたソースを絡ませます。
「それぞれをパーツと捉え、一つの味に構築するのが僕の料理です。口の中で渾然一体となって生まれる味を楽しんで欲しいのです。」と、弓削シェフ。
和が香る柚子とアニスの微かなアロマで仕上げ、完成を告げたところでジャスト制限時間に!

『素材を無駄なく使いながら、新感覚で未来を見せてくれたパスタ』、『パスタに豆とは、イタリア料理の素朴な良さも完璧に理解した料理人だ。』
弓削シェフのパスタは、イタリアでも一流シェフたちの心を真っ直ぐに射抜き、惜しみない称賛を得たのでした。

次回は、弓削シェフがシンプル・パスタに挑みます!

第2回 レポート

大阪にあるイタリアン・レストラン『クイントカント』の弓削啓太シェフ。彼が料理を始めたのは、実は留学先のカナダ。最初はフランス料理人を目指していました。パリに渡ったのが2005年。修業先でつけ合わせに出していたパスタに大きな魅力を感じるようになります。そこで日本に帰国した弓削さんは、迷わずイタリアンの門を敲いた。つまり彼のイタリアンの技量は日本のイタリアンのシェフから教え込まれたもの。イタリアで修業経験のない弓削さんの快進撃は、日本に根づいたイタリアンのレベルの高さをも実証したのです。

“シンプルパスタを侮るなかれ!”

シンプルパスタを侮るなかれ!

「きちんと整理された調理台を見れば、一目で彼が日本人だとわかる。」
第6回大会に日本代表として参加した弓削啓太シェフを評価する審査員の言葉です。
過去数十年間、一角のイタリアン・シェフを目指し、次々にイタリアの土を踏んできた日本の料理人。そんな彼らをイタリア人は全国の厨房で受けて入れてきた。そうした先輩料理人たちが相互理解を育くみ、近年は和食への関心も高まっている。カメラや人の視線が日本人シェフの一挙手一投足を追います。緊張して当然でしょう。
ところが弓削シェフは、いつものキッチンに立っているかのように淡々と作業をこなして行きます。

2つ目の課題『トマトソースのスパゲッティ』も難しいものでした。目にも鮮やかでイタリアンの顔ともいうべきこのパスタ。シンプルであるが故に洗練性やバランスも重要で、良し悪しは直球勝負で決まる。 プロにとって最も難しいパスタ料理だとも言われています。「何かを足せば美味しくなるのではない。素材が持つ本質を引き出す事が大切なのです」と、弓削シェフ。
用意したのは、トマト水で茹でたスパゲッティに和風にシソの花を添えたもの。トマトをミキサーにかけ、火入れしてろ過。そうして得たトマト水をパスタにたっぷり吸わせる。シソの花が醸し出す和のアロマに誘われ、トマトのうま味と酸味だけを絶妙なバランスで口に運べば、もっと食べたくなります。そんなスパゲッティを日本の匠『曲げわっぱ』に込め、その蓋をふわっと開いて、審査員をあっと言わせました。

競技は接戦で、審査は難航しました。でも、弓削シェフの決勝進出が告げられた瞬間、会場全体から大きな歓声が沸き上がったのです。

次回は、パスタの過去と未来を見つめます。

第3回 レポート

イタリア半島がサヴォイア家によって統一され、一つの国になったのは1861年。『アカデミア・バリラ図書館』には、当時のサヴォイア家の人々が口にした食事のメニューが保管されています。驚いたことに、晩餐会も日常でもメニューはフランス語ではありませんか!イタリアは無数にあった小国が武力で一つになった国。だから統一後も人々は、地域の方言を使い続け、食文化も独自の発達を続けた。こう言う人すらいます、『イタリアを統一したのは、サヴォイヤ家ではない。トマトソースのスパゲッティなのだ』と。

“パスタから未来を共に考える”

パスタから未来を共に考える1パスタから未来を共に考える2

(左)アメリカ代表 アックルシオ・ロタシェフの作品:「シーフード カルボナーラ」
(右)日本代表 弓削 啓太シェフの作品:「スカンピとレンズ豆のフジリ」

諸説ありますが、パスタの原型らしきものは古代には存在し、12世紀にはシチリアで小麦粉をひも状にして食べだしていたようです。パスタは、他の素材と合わせることで美味しくなるばかりか、栄養をバランス良く摂取でき、満腹感も得やすい。まさに『地中海式ダイエット』の代表格と呼ぶにふさわしく、人々に重宝されました。
しかし、それがトマトソースと出会い『スパゲッティ・アル・ポモドーロ』を生んだのは、ずっと後の1800年代初頭でした。ナポリ生まれのこの美味なるパスタ料理は、珍しさも手伝って、国家統一を機にイタリア全土に広がりました。

今日でも、統計によるとイタリア人の67%がスパゲッティが好き、28%がトマトソースを最も好きなパスタソースに挙げています。(AIDEPI調べ)ですが昔とは違い、現代社会では生産者にも消費者にも地球環境や健康への配慮が欠かせません。
バリラは『Good For You, Good For The Planet』を合言葉に、工場内のガスの排出量や水の使用量を削減。サステナビリティの向上にも努めてきました。さらにパスタに含まれる脂肪、糖、塩分を削減し、グルテンフリー製品も生産するなど健康への配慮を怠りません。 だからこそ、今年の『パスタ・ワールド・チャンピオンシップ』でも『パスタの未来』をテーマに選んでいます。

今大会の優勝者、アメリカのアックルシオ・ロタ シェフは、海の幸のカルボナーラと題し、魚の卵を用いて無駄がない料理を強調。日本の弓削啓太シェフもスカンピの殻から得た出汁を形を変えて用いたことが審査員に好感をもたれました。
今年創業140周年を迎えたバリラ社は、こうして今年の大会でも未来を共に考える学びの場を提供する事が出来ました。

次回は、この大会の初代チャンピオンとなった日本人シェフを紹介します!

第4回 レポート

今年の『パスタ・ワールドチャンピオンシップ』で大健闘した弓削啓太シェフ。その姿を、手に汗を握る思いで応援していた日本人がいます。同じイタリアンのシェフ、山田剛嗣さん。実は、彼こそがこの大会の第一回優勝者でした。自分に続く日本からの優勝者誕生を願ってやまない山田シェフ。その彼が、日本で大切に続けている活動があります。

“『パスタ』の持つ大きな力を活かして”

『パスタ』の持つ大きな力を活かして

イタリア・ナポリ近郊にある星付きレストラン『ドン・アルフォンソ』をはじめ、イタリアの各地で研鑽を積み、さらにはイギリス・ロンドンの3つ星レストラン『ゴードン・ラムゼイ』の厳しい厨房で腕を磨くと、部門料理長まで務めあげた山田シェフ。現在は、イタリア料理コンサルタントとして日本内外で大きく活動展開しています。
持ち前の明るさに加え、イタリア語も、英語も流れるように操り、今年の大会中も会場のあちこちから『ヨシ!』と気軽に声がかかる。イタリア人顔負けの冗談をポンポン飛ばし、料理人仲間と肩をがっしり組み、笑い合える。誰からも愛される、大会の名物シェフ!

2011年に東日本大震災が起こった時、彼はロンドン、メイフェア―地区にあったレストランの厨房でその知らせを受けました。被災地には友人が多くいたのに直ぐには支援の手を差し伸べることが出来なかった。その無力感は、修業を終えて帰国してからも膨らむ一方だったと言います。

山田シェフは、震災の翌年から毎年福島に出向き、食のイベントに参加しながら風評被害の一掃に取り組んでいます。世界が認めた料理の腕で、本場のパスタの味を提供する。料理の値段に含めるのは原価のみ。材料は地元産を調達し、パスタと合わせて美味しく食べてもらう。イベントには彼のパスタを食べるために福島県内外、そして首都圏からもお客様が来て下さるようになりました。そして、2016年には福島に滞在し、2か月限定の出張レストランを決行。
「お客様に美味しかったと言われちゃうと、苦労と思っていたことも忘れてしまいますね。」と、いつもの朗らかな笑顔で話す山田シェフ。

バリラ・ジャパンは、この山田シェフの活動に賛同し、毎年約1000食分のパスタを無償提供しています。バリラ社が食品の安全性に細心の注意を払って生産したパスタ製品を提供し、地元産の素材と合わせてパスタ料理を味わって頂く。 パスタの提供を通じて、山田剛嗣シェフの活動を、私たちはこれからも見守り、応援していきます。

次回は、一昔前、パスタを愛おしんだイタリア人たちの姿をご紹介します。

第5回 レポート

オレッキエッテ、ビゴリ、タヤリン、トロフィエ、フジッリ、ピーチ、これ全てパスタの名前です。バラエティの豊かさで知られるイタリアの地方料理。マンマの作る地域伝統のパスタが最も好きと言う人は多い。でも普段使いのパスタはというと、スパゲッティの人気は不動。一番好きなパスタソースはトマトソースと答える人が多い。日本の私たちが、家で食べるお茶漬けが一番というのと似ているかもしれません。

“やっぱりスパゲッティ!”

やっぱりスパゲッティ!

スパゲッティの断面を少し平らにしたようなリングイネやバベッテは、ジェノヴァ生まれのパスタ。近海で獲れる魚介類の軽ろやかさや地域特産のバジルペーストの風味に不思議なくらいマッチします。ローマで生まれたブカティーニは、太めのスパゲッティの芯を空洞にしたようなパスタ。ちょっと野太いこのパスタは、たっぷりのペコリーノ・チーズと胡椒、あるいはトマトにパンチェッタを合わせたアマトリチャーナでマッチョに堪能する。どの地域にも人々が大切に伝承してきた食べ方があり、それは必ずどこか理にかなっている。その決まり事を軽々しく破ろうものなら、さあ大変!みんなが黙っていない。

ところが、多くのイタリア人が移民として大西洋を渡っていた時代、アメリカを目指した人々がトランクに携えていったパスタはスパゲッティでした。異国での慣れない暮らしに苦労を重ねるイタリア人たちは、ソウルフードとも言うべきトマトソースのスパゲッティを口にして、何とも言えずほっとしたはずです。

20世紀初頭のテノール歌手エンリコ・カルーソーは、アメリカで成功を収めましたが、美食家としても知られています。トマトとズッキーニのカルーソー風ブカティーニはまさに彼が考案したレシピ。でも、レストランに行けば必ずトマトソースのスパゲッティを注文したそうです。
一つ問題があった。出来立てのパスタを熱いうちに堪能したいのに、店に居合わせた客たちが物珍しがって彼を質問攻めにするのです。『どうやって食べるのか?』、『スプーンも使うのか?』、『フォークはどっちの手に持つ?』
我慢の切れたカルーソーは、フォークを投げ出すと、パスタを鷲づかみにし、顔中をトマトソースで真っ赤にしながら食べて見せたといいます。
イタリア料理の魅力を世界に広めたのは、パスタなしには生きていけない、そんなイタリア人たちでした。

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